1980年季節は秋に入った頃だった。ニューズレコードのプロデューサー
結城さんから電話がかかっていた。何度も電話をもらっていたのだが、タイミ
ングが合わず話が出来ずにいた。「直接話したい」というだけで用件も分から
なかった。結城さんは、私がポニー時代、レコード部門のキャニオンのディレ
クターだった。
ようやく電話が通じた。挨拶もそこそこに「明日、福岡へ行けない?」薮から
棒だった。「駄目」「いついつの名古屋は?」「駄目」「いつ空いてるの?」
「10月25日なら」一カ月以上も先のことだ。「とりあえず入れておいてよ」
「ところで何の仕事なの」私への仕事の依頼はいつもこんな調子だ。
昨年までは弾き語りのシンプルなステージだったという。この春のツアーより
バックバンドが付き、PAミキサーは、今迄にないステージになった。問題が
あるので指導してもらいたい。そんな話だった。
10月 25日、北海道苫小牧市民会館に向う。松山千春を紹介される。勿論初
対面。リハーサルが始まり私はミキサーの視界に入らない場所で眼を閉じて聴
いていた。始まる前に、リハーサル中に口を出さないで、終わってからいって
あげて下さいといわれていた。
リハーサルが終わりプロデューサーは「何か忠告を」と私にいった。「基本的
なことが出来ていない感じだ。毎日のようにやっているにもかかわらずこんな
状態では・・・」と、そんなことをいったような気がする。
本番は「こんなもんじゃないかな」と思った。45点。私の及第点は50点。
随分と甘いのだが合格ラインに達していなかった。
その夜の食事中にメンバーは「今日は演奏しやすかった」といった。千春も同
じく「唄いやすかった」といった。本番中私が隣にすわったことで少しは緊張
してやったのかもしれない。それにしても、いつもどんな状態なのだろう。
ようするにPAが良くないということは、客席への問題もさることながらステ
ージ上の演奏に支障をきたす。問題はこれなんだ。
素人が一番勘違いしているのが、ドラムとベースを大きくすれば「カッコイイ」
という考えね。私がこの世界に入ってきた30年前もやはりそんな風潮だった。
とっても日本人的で、洋物に対するコンプレックスの現れなんだろうと思った。
多分、永久に解決しない問題だろうけど・・・。
そのころヒットしていたモータウン系なんかを聴いても、私には「ブリブリド
スンドスン」していると思わなかった。「ドラムとベースのバランスが違うで
しょう」といわれても、そういうふうに出来ているのだから、誰が録音しても
そんなバランスになると思っていた。意識的にバランスしたとは思わなかった。
それを「カタチ」だけ歌謡曲に取り入れたって妙な事になるだけだ。
低音部を強調することが、PAなんかでは身体に感じるだけに「カッコイイ」
と、ついついエスカレートしてどんどんデカクなる。
歌は聞えない。イントロや間奏は何やっているか解らない。完全に無視されて
いる楽器がある。それはただの騒音、うるさいだけで音楽ではない。これでは
問題が起こるのは当り前ですね。これがステージにも大きな影響を与える。
客席側が「グワ〜ン」として、ステージ上でのアンサンブルが分からなくなる。
個々のモニターバランスは対応出来なくなって、演奏しにくい、唄いにくいと
なる。
ハッキリいってこれがPAのレベルでね、ムコウのものでもニタリヨッタリ。
目を閉じていたら聴けたもんじゃない。苫小牧のステージはたまたまよかった。
このへんがプロじゃないんだね。プロとはどんな条件でもコンスタントに仕事
が出来るものなんだ。
1981年 6月、またまたニューズレコードの結城さんから電話だ。苫小牧
から半年以上たっていた。「長い夜」はヒットを続けていたことは知っていた
が、千春のステージのことは忘れていた。まだ問題があるのだろうか。
「ザ・ベストテンの中継をするから富山へ行ってほしい」という。
「何んで・・・」メンドウクサソウに聞いた。
音声はPAミキサーから送るのでその曲だけミックスしてほしいというのだ。
引き受けました。これがキッカケでこの後のツアーに音響オブザーバーとして
全部付き合う事になるんです。
周囲から奇異の目で見られてました。「やめなよ・・・」「困るよ・・・」
まあ、何をいわれてもいいんだけど、息抜きの意味でね。春のツアーが終わる
6月27日迄の12ケ所、主に北海道を巡業。
何か、とっても楽しそうだったし、スタジオに入りっぱなしでいるとね、太陽
を見ない日が続くのね。いつ桜が咲いて散ったか気付かない。逃げ出したいと
思わないが(仕事馬鹿って言うんだよね)「どっかへ行きたい・・・」そんな
時だったのね、タイミングがよかったんだ。
仕事であって仕事って感じでもない、ギャラもらって旅して歩く、わるくない
と思ってね。勿論こんなこと千春にはいわないよ。
テレビ中継の話。前日の6月10日、福井文化会館から同行した。
羽田からバックバンドのメンバーと出発。昨年と同じ顔ぶれだ。全員スタジオ
ミュージシャン。古くからの気心知れた人たちばかり。
6月11日木曜日、富山市公会堂からの中継時間は9時30分頃、このコンサ
ートが終わってからになる。第二部で歌う「長い夜」を録画、そのまま中継バ
スからオンエアーする。
休憩のあと第二部から私とミキサー交代する。ディレクターの横山和之さんは
中継バスの中にいてバランスをチェックをしている。たびたび電話でディレク
ションがある。会場とバスの中では、音楽バランスが全然違う。それをテレビ
向けにバランスを修正しながら本番の「長い夜」にもってゆく。
千春の話に客席が沸いている。ステージはプログラム通り進んでいる。ノリの
イイ曲でオーディエンス(会場の雰囲気を伝える天井から吊るしたマイク)の
レベルをチェックをする。会場の中にいるとヘッドフォンで聴いても感じが掴
めない。このあたりはカンに頼る。バスからOKの連絡がくる。「歌のリバー
ブをもう少し」等と最終チェックがあって、いよいよ「長い夜」だ。
千春は今日の「ザ・ベストテン」で放送されるといっている。だが客の殆どは
中継カメラを見て既に気付いている。それでも千春の言葉に騒然となる「富山
は放送されてないんだよね」今度はは悲鳴に変った。よりによってネットされ
てない地域からの中継とは、何とも千春らしいと思った。
ドラムのカウントで始まった。客は全員総立ちになり人の壁で音が聞こえない。
ヘッドフォンを付けるが全く役たたずだった。そして物凄い熱気を残し嵐のよ
うなコンサートは終わった。バスの横山さんから電話で「よかったよ」と一言。
誰もいないくなったからっぽのステージで、千春はカメラに向った。放送時間
が来た。挨拶のあと、今終わったばかりの熱気がそのままバスからオンエアー
された。千春の激しく動き廻る元気の良さにただ驚いて観ていた。
音のことは全く気にもかけずにモニターテレビを観入っていた。ヨクなければ
目より先に耳が反応する。YouTube 
翌日小松空港で、かつて東芝EMI の録音部にいた松原一さんにバッタリ会う。
「何しに来たの」「そうなんだ、テレビ観てたよ、どうりでイイ音してると思
っていたよ」「何で声かけてくれなかったの手伝いにいったのに」
彼とは、ダウンタウンブギウギバンドのライブ録音で関西方面を一緒に旅して
いた。故郷へ帰り、小松空港で飛行機の整備士をしている。とってもいい気分
で東京へ戻った。
そのまま武道館へ向った。ニッポン放送主催「ライオンフォークビレッジ」の
本大会に千春がゲスト出演、そのPAを担当する。