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アンサンブル

 ドラマー、市原康さんからのメールの続きです。

演奏家はアンサンブルという行為をしています。アンサンブルという行為は相手
を認めて、自分も主張するという行為です。そこに楽しみがあります。ではミキ
サーにとってのアンサンブルという行為はなんなのでしょうか。それはテープの
中に固定されている音のアンサンブルをとる・・・ということ・・・なのでしょ
うか。
そこに何か違いが生じるきっかけがあるように思います。演奏家にとってのアン
サンブルという行為は、相手の思いをくみ取り、そこにいるすべての存在を生か
すという行為です。そしてミキサーにとってもそれは同様だと思います。
良い音は前面に出し良くない演奏は引っ込めてしまったりする。これは間違いの
始まりだと思います。
尤も、演奏家次第でその良し悪しが決まってきます。演奏家自身が良い意味での
アンサンブルの行為をしていなければなりません。
仲間に「下手な」人がいたとする・・。ある演奏家は、その人の演奏については
無視をする。しかし、そのようなことをして良い結果は得られるはずはありませ
ん。そこにいるすべての人を尊重したときだけ演奏は良いものになる・・これは
間違ってはいないと思います。だから、ミキシングも同様・・・、ありのままを
表現したときに、ミキサーはそこに起こっている出来事を発見することができる
のだと思います。
自分を提示するよりもそこに起こっている出来事を発見する世界・・これは無限
の広がりを持っています。


 とてもきつい言葉のようですが、その裏には市原さんらしい優しいあたたかい
ものを感じずにいられません。
 それにしてもここまでいってくれる人はいませんね。ミキサーにとってのアン
サンブル(調和)。「自分を提示するよりも、そこに起こっている出来事を発見す
る世界」これはイマシメの言葉に聞えます。
 よかれと思ってやっていたことが全く方向違いだった、とはよくあることです。
ゴタゴタが起ったり、やたら時間がかかったりするのは、その軌道から抜け出せ
ないでいることが多いからで、最初に間違って画いた絵の中で無理やり修正しよ
うとして時間がかかってしまう。
 本人は訳分からなくなってくる。そしてそのミックスも訳分からない。市原さ
んのいうミキサーにとってのアンサンブルとは、つまりこれなんですね。
 ミキサーがミュージシャンとアンサンブルする。又、プロデューサーやディレ
クターとアンサンブルする。これは仕事の『調和』そのものです。その仕事に対
して、お互い、同じ会話が出来る。同じ方向を向ける。同じ色に染まることが出
来る。この修業が出来ていない。

 ディジタルシンセサいザーが登場したあたりから録音に対する考え方が急速に
変ったような気がします。その考えは二通りあって、その一つは「生音」を意識
して、いかにも生楽器でつくったように仕上げるかたち。もう一つは、いうまで
もなく音楽の一つのジャンルになった「打ち込み物」いわれる形だ。こちらはサ
ウンドイメージ等、自由な発想で個性的な音づくりが歓迎されている。

 このシンセサイザーの進化をみていると、それは常に「生音」の追及にあった。
それが今日のサンプリング音源へと発展する。つまり音を徹底して追及していっ
たら、結局「本物」にはかなわないという事だろう。
 作家は生楽器をイメージしてスコアを書いて来る。例えば、木管アンサンブル
をイメージして書いた場合、一人だけ生楽器を加えることがある。フルート、オ
ーボエ、クラリネット、ファッゴット。
 本物をどの楽器にするかは、作家のイメージによるのだろうけど、フルートか
クラリネットの場合が多い。一人、本物が入ることによって、全体が本物に聞え
てしまう、というのが狙いだ。
 このことは生音に対するこだわり以外の何物でもない。本当は全員本物を使い
たいのだ。この考え方は他のセクションにも共通する。このねらいに若いミキサ
ー達は対応出来ない。悲しいかな本物の経験がない。音をつくることと、バラン
スを整えることは別の感性なのだ。


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