音楽的『オト』について考える。なにやら小沢昭一さんのようですが、最近
そんなことを意識させられる録音物が多いのではないかと思うからだ。
「冷たい」とか「うすっぺら」とか、これ迄さんざんこき下ろされたきた事
と少し違う。これから書くことは、ひょっとしたら……しなくても……ただの
ガンコ者のタワ言かもしれない。だからそのつもりでつき合っていただきたい。
その昔、ミキサーの本分は不完全だった録音機器、限界あるオーディオ装置
でどこ迄イイ録音が可能か、それに対する挑戦だった。確かな経験とセンス。
精神的で音楽的な姿勢。そこからハイファイという言葉が生まれた……。
オーディオ機器の発展は、そのまま録音機器の発展でもある。やがて時代は
ディジタルがアナログを追いやり、シンセサイザーが生楽器に替わる。この辺
りから何やらあやしくなってきた感じがする。
シンセサイザーの普及と同時にホームレコーディングシステムが充実した。
誰でも簡単にプライベートスタジオが出来るようになった。現在そうした環境
からプロスタジオにまけないクオリティで大量に音楽がつくられている。
マイクロフォンをあまり使わなくなった。ジャックをぶち込めばキッチリ正
しい音が出てくる。これまで私たちが苦労してやってきたのは何だったのだ。
マイクロフォンの扱いが録音の良否をきめると思っている私には納得できない。
そんな楽していいのか。まあ……ムキになることはない、そんなことはどうで
もイイのだが。
このジャックでとり出した画一化された音は、ミキサーが創造的になればな
るほど破壊している傾向にある。それが正しい生音にまで感染しているような
気配、と、そんなふうに思ったのです。
創造とは破壊することなり。ぶっこわすことによって新しい音の世界を拓く
のだろうか。それも音楽のうちというのだろうか。
そういえば、亡くなった画家で彫刻家の岡本太郎さんは『芸術は爆発だ!』
とテレビで叫んでいたな………。
突然場面転換。ここでちょっと録音現場を覗いてみよう。
ミュージシャンの前にマイクロフォンをセットする。調整卓に繋いだらイン
ジケーターが赤にならないようレベルをきめる。アンサンブルならそれぞれの
バランスを調整し、気持ちいい響きに整える。必要に応じてイコライザーをい
じってみたり、リバーブを加えたりする。これでいいと思ったら早速『本番』
となる。
ここ迄は、エジソンの蝋管が電気吹き込みに変わって以来、何にも変わって
いない。問題はこの先『本番』といって何に記録するかだ。今聴いているこの
ままの状態、このままの雰囲気が記録されることが望ましい。
こうして考えると録音の歴史は記録装置の歴史だったといえる。録音機器の
発展といっているが、テープレコーダーと磁性体の発展といっていい。時代と
共に変わったのは記録装置だけで、根本的には何も変わっていない事が分る。
マイクロフォンに限っていえば早い時期に完成していた。
そしてこんにち。アナログなのかディジタルなのか。といっても、今や殆ど
のスタジオはディジタルしか置いていない。このディジタルなのだが、聴いて
いるこのままの状態を記録してくれない。ディジタル固有のキャラクターが音
のイメージと空気感を変えてしまう。
アナログだったら問題ないのか。いや、やはり同じような問題が発生する。
発生するがディジタルのような騒ぎにならない。むしろその変化は、多くの人
たちに好意的に受け止められているはずだ。なぜなのか。その変化は、人間の
生理と同じ方向にはたらくからだろう。
そうなのだ、ディジタルは人間の生理に逆らった方向に変化してしまう。
しかしながらこの変化は、ジャンルによってはプラスにはたらく場合もあるか
らやっかいだ。このディジタルに記録された音とどう対峙するか、それぞれの
感性が問題なのだ。
ディジタルを絶賛してやまない人は大勢いる。あの「シャッキリしたツブだ
ちの音は好きだ」という人には一体全体何が不満なのかと思うに違いない。
確かにディジタルの初期は評判がよくなかった。限られたスペックの中での
技術の進歩はめざましく、悪評だったMDさへDATと変わらなくなった。
私の懸念する問題はこの技術の恩恵に隠されているように思える。音はよく
なったが、聞こえなくていいところまで聞こえてくるようになった。不自然な
ローエンドとハイエンド。耳障りな音の起ち上がり。あえて好意的にいってし
まえば「生々しいリアル感、スルドイ音のたち上がり」と、なるのだが………。