これは性格以外のなにものでもないのだが、私は若い頃より、録音機材に関し
て、まわりが大騒ぎするほど興味を持たなかった。
例えば写真のように、きれいに撮るにはカメラだけではないように、目的もな
く使用することに興味がなかった。
このことは今も変わっていない。実行しているのではない。生き方でもない。
だからホームページを開いたために、何やらゴチャゴチャ書くはめになってしま
って、仕事の話になれば技術的な話にふれる、それが古めかしい精神論みたいな
話しかできない。これはただのガンコオヤジ丸出し。自分でも気持ちの奥の方が
グッタリしてきているのだから、読んでいる方も多分グッタリしているかと思う
とますますグッタリで、だからといってやめる訳にいかなくて、ただただ後悔し
ているきょうこのごろなのであります。
ハイファイ時代の録音に対する姿勢と、こんにちのディジタル時代の姿勢とで
はなにが違うのか。私は何も違わないと思う。なに不自由なく出来る時代であり
ながら、いまだに同じところに問題をかかえている。そこが素晴らしい???。
ディジタルに対する不満、アナログ時代の不完全だった機器に対する不満、
その本質は変わっていないということだ。
こんなにテクノロジーが進んでいる時代なのに、音を記録することだけはどう
にもならないのだろうか。なんにも変化しないで、いろがつかないで音を記録す
ることがこんなにも大変なことだとは……。
結局話はハイファイ時代以前までもどってしまうのだが、音に対する姿勢とい
うのはいつの時代でも同じだということだ。
それとどんな仕事にもいえることなんだろうけど、これで「完全」「完ぺき」と
いうものもない。完ぺきを求めて追及していったところで満足するところ迄いけ
るのか。エンジニアの「音に対する飽くなき追及」とても美しいスガタのようだ
が、それはジレンマとのたたかいにすぎないだけだ。
よくビートルズが録音の方法をかえたと言うセツがある。そうかもしれない
が、それはコジツケた結果論であって定かでないような気がする。
確かにあのジョンレノンは自分の声がきらいで、その実態をぼやかすことを
つよく希望した。そのために多重録音やエフェクターのような機器を駆使した。
つまりエンジニア達の苦肉の策が、結果的にあのような独特なサウンドにつな
がったと物の本で読んだ記憶がある。
自分の嫁さんとベットインしているのをマスコミに公開するような人がだよ、
何で自分の声が「フルチンで歩いているようで恥ずかしい」のだろう………。
天才ってわからない………。
録音技術って、考えてみるとその時代のテクノロジーにただ振り回されていた
だけだった、ということがよく分かる。創造とは振り回されるところから生まれ
るって、ガ?。
「時代の要求に応えて」なんて、大義名分なことをいったりするが、これは詭弁
ですね。
音楽が先なのかテクノロジーが先なのか、まあ、どっちでもいいのだが、少な
くとも2チャンネル時代やアナログマルチ時代では考えられなかった録音が簡単
に出来るようになった。そしてさらに進化し、個人レベルでプロスタジオと同じ
クオリティで録音できるまでになった。
ハードディスクレコーディング、これは技術の進歩なんていう生やさしいもの
ではない。革命なのだ。これ迄培ってきた録音の常識をひっくり返してしまった。
録音技術、それは音楽とコミュニケーションするところに存在した。パソコン
に向かう音楽家はエンジニアリングするところから音楽を生み出す。そこには異
なる才能どうしのコミュニケーションは存在しない。当然その音造りに私のよう
なアナログ時代を生き抜いてきた人間がアナログ感覚でモノをいうのはさし控え
なければならない。いや………言う立場ではない。
さて………そんなグッタリする話はどうでもよろしい。問題は60歳になった私
のことだ。これまで通り………なにも変わらない………そう、変われない………。
《 ふるくさい 》《 ワンパターン 》う〜ん、そういうことに な り ま す か。
チクショー『 そう言われるまで続けてミイ !!! 』