
 
田家秀樹さんの著書「みんなCM音楽を歌っていた 大森昭男ともうひとつのJ- POP」
コマーシャル音楽の歩み。40 年以上のキャリア。いつの時代にも最前線にいて未だ
現役。
この本は音楽プロデューサー大森昭男さんの感性に関わった映像の世界と音楽の世界
の人々の壮大なドラマです。
この壮大なドラマの中に二人のエンジニアが登場します。その一人が私、伊豫部富治で
す。実に名誉なことであります。
私は大森さんより少し年下ですが、キャリアについていえば、私も大森さんに負けては
いません。私、10年前に終っていればここに登場することはなかったでしょう。現役
であることに意味があるのです。ながいきはするものです。
この本はスタジオジブリの機関誌「熱風」に、2004年1月10日号から2006年2月10日
号にかけて連載されたものです。2005年3月、私ともう一人のエンジニア、田中信一さ
んと大森さんのオフイスで田家さんのインタビューを受けました。
大森さんが40年のキャリアの中で、かかせない二人のエンジニアとして登場します。
私はこの時代かなりの数のコマーシャル録音をやっています。大森さんところだけでは
ありません、10 数社ありました。周りからコマーシャル専門のエンジニアと見られて
いました。
たまの休みにテレビを観ていると、私が録音したコマーシャルが立て続けに流れていて
あまりの多さに気恥ずかしく感じたことを思いだします。なにせ多い日には1日5本の
コマーシャルを録音した記憶があります。
そんな「ハクリタバイ」状態ですから、かなり雑な仕事をしていたのでは、と思うので
すが、大森さんはそうは見てなかった。つまりですね、どんなに忙しくても、手を抜か
ず、キッチリ正しく仕事をしていた。しかも、ただの「ハヤリモノ」のエンジニア、と
いうイメージではなく、音楽的なことまで正しく見抜いていた。と、まぁ、都合のいい
「ウヌボレ」ですが、うれしいじゃありませんか。
そして記事の載った「熱風」2005年5月号を読んだときは、私たち二人だけのくだり
だけですから、大森さんを取り巻く世界のほんの一部分です。ここでは大森さんの壮大
な世界は見えていませんでしたが、田家さんの記事がとってもうれしかったのでした。
こうして分厚い一冊の本(450ページ)になって、大森さんとその関係ブレーンの顔ぶ
れの中の伊豫部富治という活字が、「うれしいかった…」を通りこして、そら恐ろしく
感じたのであります。「なんでこんなところに私の名前が…」「何かの間違いでは」。
とにかく登場人物は超有名人。一流中の一流。プロの中のプロばかりなのです。
私は一気に読み切りました。読み物としても実に興味がつきませんでした。この壮大な
流れの中に伊豫部富治が登場します。胸にズーンっとくるのです。もうサイダーな気分
なのです。
大森さんが「ONアソシエイツ音楽出版」を起ち上げたのは1972年。この時から大森
さんと関わります。私はこの時サラリーマンエンジニアでした。仕事の電話が会社によ
く掛かってきた事を思い出します。私がフリーになったのが1973年。この時、あるレ
コード会社に移籍するつもりでしたが、大森さん始め、コマーシャル音楽の仕事が忙し
くなって就職するタイミングを失ってしまい今日に至りました。
大森さんからの仕事は特別でした。この本でもわかるように70年代から80年代にかけ
てコマーシャル音楽業界の絶頂期でした。同時に16チャンネルレコーダーの登場で録
音システムは、2チャンネルダイレクト録音から軒並みマルチ録音に移行した時代でも
あります。しかしながら、コマーシャル音楽に限ってはまだまだモノラル一発録音が続
いていました。「おくれてる…、やはりコマーシャルって音楽扱いしてないのかな…」
そんなことを思わせる録音の過渡期でもありました。
大森さんは違ってました。いち早くマルチ録音に移行した人でした。これだけでも録音
の大事さを理解していたことがわかります。
大森さんとは現在もお付き合いさせていただいております。これからもどうぞよろしく
お願いいたします。
著者の田家秀樹さん、大森昭男さん、スタジオジブリの田居ゆかりさんに心から感謝い
たします。ありがとうございました。amazon 
2007年8月10日
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