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時代のながれ

69歳になりました。古稀であります。70歳と思っていたら本当は数えなんだそうです。
これもひとえに私一人の精進のたまものであります???……。

古稀…かぁ…、と、いって特別な感慨はありません。ここのところ「しゅくしゅくと…」と
いう感じで、現役を続けさせてもらっています。ただただ関係各社に感謝する次第です。
ありがとうございます。足腰が動く限り、耳が聞こえるかぎり、まだまだ、あと10年は
いけるかな…。マジデ…。「古稀すぎてなおもコキつかわれたい」…ジャンジャン!。

録音業界、私、予想していた通り、テープからハードディスクに変わりました。
ホストコンピューターが「アップル」。ソフトウエアとオーディオインターフェースが
デジデザイン社の「プロトゥールス」というのがスタンダードになっています。

私はSSLやNEVEのコンピューターシステムにさわれないエンジニアです。はなから覚える
気がありませんでした。各スタジオの若いエンジニア達から、年寄りだからそういうのは
「苦手」なんだろうと思われていました。手動で可能な限り手動でミックスをします。どう
しても両手で操作出来なくなったら、コンピューターに「手伝って貰う」という考えの人で
した。

24チャンネルまでは手動でOKでした。といっても24チャンネル時代、コンピューターが
導入されていたのは…、信濃町のソニースタジオしか記憶にないな…。
1981年の「COSMOS/大野雄二」をNEVEのVシリーズ「NECAM-96」のコンピューター
でミックスしています。
同じ場所で同時に三つ以上のフェーダーを操作するような時は、当然のようにまわりの人に
手伝ってもらいましたね。調整卓の上にいろんな人の手が出てきて楽しかったですよ。「私
にも何かやらせてください」と関係者全員参加でミックスしたものです。
しかし、48チャンネルになると手動でミックスすることは不可能になります。コンピュータ
ーがあるのにまわりの人に手伝ってもらうのはちょっとみっともないしね。こういう時です
人間感覚でコンピューターに手伝ってもらうのは。

手動でミックスするのは私の「コダワリ」でした。確かにキカイにやらせたほうが楽なこと
はしっています。だが、それをやると音楽に入り込めなくなってしまうんだな。音楽からは
じき出され、妙にさめた状態になって、納得するミックスが出来なくなるのです。
「手伝ってもらう」というニュアンスがわたしの精神です。最後までコンピューターにあず
けない。ここが重要なところです。
どこのスタジオへ行ってもアシスタント達はいやな顏みせず私をサポートしてくれました。
そんなミキサーですから、プロトゥールスの時代になったら「廃業だな」と思っていました。
それで引退じゃ格好わるいでしょう。

1995年、先ずはコンピューターにさわれるようになろうと、パイオニアのマッキントッシュ
互換機「GX-1」を手に入れます。この機種は当時のマッキントッシュ6100と同じスペック
の製品でした。この機種を選んだ理由は入門機として一番安かったことと、(¥238,424)
ビデオ編集ソフト「ビデオショップ」がバンドルされていたことです(8ミリフィルムを
ディジタル化して編集に興味を持っていました)。55歳の時です。コンピューターを始める
にはややハードルの高い年齢です。
先ずはコンピューターと仲良くなるには…、それは日記を付けることでした。その日にあっ
たこと、どんな形のウンコが出たかまで何でも書きまくりました。それが習慣になって現在
も続いています。

長男が高校時代オリベッティのタイプライターを持っていて、それを度々拝借しているうち
に、ブラインドタッチで打てるまでになっていました。キーボードはローマ字打ちです。
何に使ったかって?。車で聴くためにレコードをカセットにコピーし、そのラベルにタイト
ルや曲目なんかをね。
年取ってからコンピューターを始める人は、先ずキーボードでつまずくと聞いて、第一難関
が無かったのがさいわいと思いました。

1997年、アナログで録音するはずだった「O,K,String Quartet」。編集が多かったので、
プロトゥールスに切り替えて録音しています。
前年、1996年には「PRELUDO TO A KISS / JUNKO OHTSU & MASAHIKO SATOH」
というジャズアルバムを2チャンネルで「ソニック・ソリュージョン」システムで録音して
います。
この時代、私の知るかぎりでは目黒のキューティックスタジオと、一部のコマーシャル音楽
プロダクションくらいにしか置いてありませんでした。
私はこの時期、近い将来、スタジオの録音システムはこのプロトゥールスに取って代わるか
もしれない、と思いを新たにするのです。
1999年、Power Macintosh G4を導入、「Pro Tools FREE」から「Pro Tools LE」と
「Audio Media III」に進級して本格的におべんきょうを始めたのです。

2007年、ソニーがすでに生産中止を発表していたプロオーディオのサポート期限を2010年
と発表。2005年あたりから、あちこちのスタジオがジワジワとプロトゥールスに切り替え
ていたのが、このニュースで一気に導入されます。そしてテープ式録音機は完全に使われな
くなりました。多分、ソニーの撤退とは関係なく、自然な時代の流れだったのだと思います。

1982年、ソニーの24チャンネルディジタルレコーダーを始めて見たとき不思議な違和感を
持ったのを覚えています。「え、、オープンテープなんだ、、、」。
私はこの年、1982年  と 1983年  に「Technics」のオープン6ミリDASH方式で、
2チャンダイレクト録音をしています。(テイチクレコードは2008年迄松下電器系列)
この2チャンネルDASH方式が24チャンネルになったのだから何の不思議はないのだが。
私は「PCM1610」がマルチレコーダーになると勝手に想像していた。こっちのほうが自然
な進化だと思っていた。
やはりあの回転ドラムに24個もヘッドを取り付けるのは難しいのかな…。そんなことより、
故障の確率を考えたとき、固定ヘッドの方が、安全かつ安心かな…。とか勝手なことを想像
していた。一方で「PCM1610」のあの音が24個も出てきたらイヤだしな…。どっちにしろ
この時のヘンクツな性格がハードディスクシステムを意識させた。2010/3/15


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