
 
あっ そう……
自分の声が「ハダカで歩いているようで恥ずかしい……」という歌い手は以外
に多い。華やかなライトを浴び、大勢の前で堂々と歌う姿から想像出来ない。
恥ずかしいから目だたないようにしてほしい……ということなのだが、その時の
雰囲気によっては「録音バランスがわるい」といわれているようでドキリとする
ことがある。
恥ずかしいというのは「歌がヘタだから」というのと少し違うニュアンスが含
まれる。ハダカだと思っているのだから、それは何か着せてやるとか、もの影に
かくしてやればいいのだが、最近なんだかわかんないが、かくされ過ぎて歌が埋
もれたサウンドつくりになっている。
「見事なアレンジなのでそのサウンドも聴いてほしい」と、大義名分なことをい
うエンジニアは少なくない。暗に「これはエンカじゃない」と、いっているのだ
が、日本人の洋ものに対するコンプレックスの現れといえなくもない。
歌がヘタだから結果的にそんなバランスになってしまった、ということもある
かもしれないが、歌が小さいというのは殆どの人はフラストレーションを起こす。
買った人は、もっと歌を大きく聴きたいと思うにちがいない。
このことはエンジニアだけの責任ではないのは明白で、はっきりいって日本の
伝統、とまでいっていいのかもしれない。
暗黙のうちに「ヘタだからアレンジでごまかしてほしい」「サウンドでごまか
してほしい」というのがあって、アレンジャーは腕の見せ所とばかり一分のスキ
もなくサウンドの壁を築く。へたすると自分自身のデモンストレーションの様相
さへある。当然空気の通りがわるくなる。主役はまったくサウンドになじまない。
なじませると存在感がなくなってしまい、何をワメイテいるのかよくわからない。
ベストバランスの基準的モノサシはない。あるのはフラストレーションを感じ
ることなく素直にその世界に入っていけることだ。歌い手の顔がしっかり見える。
表情まで伝わってくる。そこに音楽ファンは貴重なお金を払っている。歌が埋没
し、楽器の一部かのようにつくられるサウンドには、何かマヤカシめいて私には
創造的とは思わない
勿論歌がデカければデカイほどヨシとする歌い手も多い。もっと大きく。もっ
とデカク。もうヒトコエ。そこには録音の美学は感じられない。あつかましい。
図々し過ぎると言っていい。「デリカシーってものがないのか」といいたくなる。
恥ずかしいというのだから本当に恥ずかしいのかもしれないが、それは歌った
本人だけにしか分らない精神的なこと、主役だからその意見は尊重しなければい
けないが、殆どの場合ただのわがままにすぎない。
本人にしてみれば製品になって聴く度にいやな思いをしたり、くやしい思いを
するのは精神衛生上よろしくない。だからって私は深刻な問題ではないと本気に
取りあわない。製品が出来る頃には多分忘れているだろうし「聴くたびに」とい
うほど聴く訳がない。例え聴いたところで「そんなこといったっけ………」その
程度のことだ。
そんなとき私は「あっそう……」と聞いたふりしながら、いつもどんな対策を
講じているのだろう……。
あぁっ!! そ、それはただのマヤカシじゃないのか……。
|

|