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いかすもころすも

 テイチク会館スタジオのチーフエンジニアは、テイチクレコード録音部より
派遣されていた人だった。ミキサーと呼べるのはこの人ひとりだけで、あとは
新人ばかりのドングリの背いくらべ。
 録音の半数以上は外来のエンジニアで、各レコード会社始め、ラジオ、テレ
ビ等のステーション関係のエンジニアも多く出入りしていた。
 レコード会社のエンジニアは、それぞれ会社のカラーのようなものを持って
いた。
 この時代「2チャンネル同録」の全盛期。職人技というか、芸というか、
私の素人耳にも「ウマイ」とか「ヘタ」という感じがはっきりしていて大いに
勉強になった。
 音を聞いただけで誰の録音かはっきり分かったものだった。個性というより
性格が音に出ていた。
 中には「こういうミキサーにだけはなりたくない」という人もいた。
若いディレクターには意地悪く、ただ威張くさっていて、ミキサーの卵として
側で見ていてとても嫌だった。そういう人はいくら腕が良くても好きになれな
かった。
 「音楽をいかすもころすもミキサー次第」、と言われていた時代だ。限られ
た条件と時間の中で、瞬間芸のような技を見せなくてならない。
 この戦場のような修羅場では、例えば嵐の大海原を航海する船長のように、
適切な指示をあたえてくれるディレクターがとても重要だ。このディレクター
がプロだった。新人ミキサーには、これほど心強く、頼れる人はいなかった。
こんにち、こういうプロがいなくなってしまった。ミキサーはディレクターに
育てられていた時代だった。


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