
チャンスが来た
1967年1月5日、テイチク興業株式会社テイチク会館スタジオの仕事始め。
そして私の初出社日。同じ録音スタジオからの転職、仕事の内容がまったく違う。
ここではただの新人。掃除と使い走りがおもな仕事だ。そしてあまり気が進まな
かったコマーシャル音楽の録音。それは映写係をしなければならないことだった。
これも修業のうちとイヤな顔を隠しながらやっていた。
テイチクレコードを既に定年退職していた榊原積さんという人が私の上司。来
たるべき時代をとても的確に見ていた人で、ミキサーとしての精神論は、事ある
毎に叩き込まれた。
三ヶ月位で録音するチャンスが来た。勿論本番ではない。公平にまわってくる
デモ録音だ。今の時代は簡単に自宅録音が出来るが、当時はどんな簡単な録音で
もスタジオ以外に考えられない。
デモ録音が割りと多いスタジオだった。企画会議用等に作るのだが、印象を良
くする意味で、誰もがよい録音を望んでいる。
伴奏は殆どがピアノ一台だけ。稀にフォーリズムや本番のような編成で録音す
るプロダクションもあった。
このデモ録音が私達新人の登竜門。終わったら必ずコピーを作る。榊原さんが
チェックする為だ。マイクロフォンの選択から始まり、セッティング、リバーブ、
イコライザーの使い方、実に多くの注意点が出る。だが仕事中は絶対にスタジオ
を覗きにくる事はしなかった。厳しい人だったにもかかわらず「すきなようにや
ってみろ」ということなのだろうと思った。
ピアノと歌だけの録音とあなどってはいけない。この点数がよいと次のチャン
スが比較的早く来る。及第点は辛かった。その評価がレコードへの本番につなが
っていく。大チャンスはこの年の夏に来た。
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