ディジタルの音に対する風当りは今でこそ落ち着いたものの当時は半端ではなかった。
あの冷たくて硬質な音には自然体志向の人にとっては堪え難いものだった。
一方、絶賛してやまない人達も多くいた事は事実だった。世間一般の評価は総じて好
意的だったようだが、それはマスコミにのせられていたキライがあった。
アナログとのスペックを比較してもしょうがないことなのにそれを真に受けてしまい
勝手に「音がよい」と判断した。ディジタルだからカセットテープのような「シャー
ノイズ」がない。レコードでないからパチパチ「スクラッチノイズ」が出ない。
「だから音がイイ」と書き立てた。肝心なところに何もふれないで本質と違ったとこ
ろで評価していた。
「意味が違う!」といったって誰も耳をかたむけようとしない。手遅れのようだった。
私たちプロにいわせると、こういう能書きはどうでもよいことで問題は原音のイメー
ジと全く違うかたちで表現されるから黙っていられない。
色に例えていうなら、うす紫色をイメージしたものが、ただの紫やブルーになってし
まうのが耐えられないのだ。この中間色に対するイメージが忠実でない。したがって
奥行きの表現も欠ける。これが生理的に不快なのだ。
アナログ録音はそういう変化はないのかというと、やはり変化はする。だがディジタ
ルのような不快さはない。アナログとディジタルの違いをフイルムの映像と、ビデオ
の映像でイメージしてもらいたい。方や、ソフトなタッチで奥行きが感じられ温かい。
方や、輪郭がはっきりし平坦で冷たい。アナログがフイルムでディジタルがビデオの
つもりで話している。
同じフイルムでもコダックフイルム、フジフイルム、サクラフイルム、アグファって
のもある。つまり、そいうことなんだ。
ようするにアナログの変化は最終的にイメージに近付けられ、そしてその結果は総じ
て好意的に受け止められている。あの化学染料に染まったようなディジタルの音は、
最後までついてまわる。
「カテリーナ古楽合奏団」の松本さんはとっくにそれを感じていた。限りなくナチュ
ラルで繊細な楽器ばかり。自然に自然に録音したい。それには特別な機材は何も必要
ない。必要なのは私の自然に取り組む精神だけ。
録音に関しては演奏しやすい位置関係で並んでもらった。先ずイイ演奏してもらう事
が先だ。イイ演奏はイコール、イイ録音に通じる。自然にしぜんに録音した一枚。
ロバハウスのホームページで購入出来る。