クラシック音楽の録音現場では、古典的にとか、現代的にとかいう。
これは空間のイメージのことだ。
ショパン、モーツアルト、ベートーベン、リスト、ドビッシー、バル
トーク等々それぞれの録音スタンスがあることは知っているつもりだ。
空間のイメージとは、ホールの最前列がリストで、真ん中当りがモ
ーツアルト。ショパンだったらあと二列くらい後ろとか、演奏者から
マイクロフォン迄の距離でつくられる。
私は、この教科書的な考えにいつも疑問をだいていた。ともすれば
その考へは美意識に欠けるきらいある。録音の黎明期のような考え方
は「もういいんじゃないの」と思っている。
現在、ポップス等の録音は何をしても許される時代になった。「人
と違う録音をしたい」「誰もやったことのない音をつくりたい」とか
いうと、どこかアーティステイックで、建設的なイイ方向に解釈した
いところだが、実はこれとは全くの正反対、音楽を無視してるだけで、
デタラメな方向を向いているだけだ。
どんな分野でもそうだが、論理的になればなるほど、その結果はイマ
イチの感がある。
録音は「こうでなきゃいけない」という形はない。何をしても構わな
い。大事なのは結果で、そこに録音の美学が感じられなければ・・・。
館野泉さんの話を受けた時、フィンランドで録音されたドビッシー
のCDが参考資料としてドッサリ送られてきた。これはこれでとても
よい録音なのだが、個人的には教科書通りで好きではなかった。
この感じで録音しろという意味か。この音が館野さんのイメージに
なっているんだったら勝手なことは出来ないかも知れない。
ディレクターにその辺を確認をし、私のイメージを伝えた。
「今回の選曲のイメージから情熱的な録音にしたい、極端な事を言え
ば、ピアノに頭をつっ込んで聴いてる感じなんだ」「違うと思うなら
別なミキサーでやってくれ」と言って録音したのがこのCDだ。
録音 : 洗足学園マエダホール 1988 年4月25 26日
録音は五つ星。お見事。が、館野さんの録音はこれっきりだった……
気にいってもらえなかったようだった……とほほ……