私がテイチク会館スタジオからニッポン放送サービス(現・ポニーキャニオン
レコード)に移って、最大の収穫は、歌の上手い人達の録音が出来たことだ。
岸洋子さん、ペギー葉山さん、フランク永井さん、田端義夫さん等々、大勢の
人達の録音をさせてもらった。エンジニアの血となり、肉となる仕事は歌物に
かなわない。しかも歌の上手い人達だ。
エンジニアの技術的テクニックは、経験の差は別にして大して差はない。問題
はハートだ。受け止めた音をどうソシャクして描くか。下手な人ほど何かしな
いといけないが、歌の上手い人は何もできない。いや……何もすることが出来
ない。この「何もできない」「そのまま録る」ここにエンジニアの真価が凝縮
されている。
私のニッポン放送サービス在籍中、もっとも忘れることの出来ない録音は、岸
洋子さんだった。殆どの持ち歌を、オリジナル通りにポニーレーベルに録音し
た。レコードメーカーが原盤を貸与していたら私は経験しなかった仕事だ。
何故こういう録音が可能だったのか詳しいことは知らない。多分、ミュージッ
クテープに関する契約条項が整ってなかった。その契約の隙間をついて録音し
た。多分そんなことでしょう。他の歌い手達も同じ事だったのだと思う。
岸洋子さんは「納得出来る歌が唄えない」と、カラオケで唄うことをきらった。
「オーケストラと一緒に唄いたい」いわゆる私達の世界で言う同録。めったに
経験する事ない貴重な録音だ。反対する理由等何もない。
場所はニッポン放送第一スタジオ。大勢のオーケストラのド真ん中。コンダク
ターの左側、目でコミュニケーションがとれる角度。そこにボーカルマイクを
セッティング、居並ぶミュージシャン達は緊張しないはずがない。
さすがにステージの人、一、二度のリハーサルで本番に入るのだが、殆ど一発
でOKだった。「本番ッ」の声でピイーンと張り詰めた空気がスピーカーから
伝わってくるのが分る。と同時にコントロール室も同じ空気に包まれる。全員
が一つの目的に向ったときその集中力と緊張感は研澄まされた刃のようだ。
私も思わず力がはいり緊張のあまり指先が震えている。そして、全身にアワ立
つものを感じながら録音した。ミュージシャン達も同じだったらしい。
時代はまだまだ二チャンネル一発録音。ヘッドフォン等フォールドバックシス
テムがまだ無い時代。ダビング、差し替へ、勿論ない時代。だからあんなに緊
張感ある録音ができたのだ。熱い血が通っている。聴く者の胸倉をグイッと捕
まえて自分の世界へ引きずり込む。う〜ん……すごいことだ。