この年の6月下旬、テイチク会館スタジオを退社し、7月1日からニッポン放送サービス制作部に
勤務していた(現 ポニー・キャニオンレコード)。録音途中のものは終了するまで続ける約束だっ
た。会社間でお互いスケジュール調整をしながら何ヶ月か続いたが、どさくさに紛れて新たに入って
きていた。勿論、会社の仕事が最優先です。
この頃のノートは、詳しい内容は記入されていないが、実は、この「二人の風船」の録音が始まっ
て間もなく、エンジニアと何か問題があったらしく、私にまわって来たものだった。1969年9月
6日(土)寺尾聡さんの担当ディレクター松井さんと赤坂で待ち合わせている。多分このレコーディ
ングのことだったのでしょう。そのあと六本木に出て、寺尾さんとアレンジャーでありジャズピアニ
ストの三保敬太郎さんと合流しています。
一回目の録音は9月13日(土)。テイチク会館スタジオで夕方6時30分に始まり10時30分
迄の間に6曲カラオケを録っています。4時間で6曲、順調に進んでいたのでしょう。2チャン同録
では当たり前のノルマですが。
続いて10月5日テイチクレコード堀ノ内スタジオで録音しています。3時間となっていますが、
多分、残りの3曲収録したのでしょう。この二回目の録音までの間に前回録音した分の唄入れをして
います。
そういえば、寺尾さんの唄入れの時、その声にびっくりした事を想いだしました。ボーカル録音の
テクニックの一つに、二重録音があるのですがそのダブリング効果のような声をしていて、声帯が二
つあるのかなと思ったくらいでした。
アルバム11曲中「サべージ」時代の仲間が加わったセッションが1曲あります。この録音には私
は参加していません。ライナーノートには1970年6月に終わったと書いてありますが私の70年
のノートをみても寺尾さんとの録音はどこにも見当たりません。会社の仕事が忙しく、出来なくなっ
てしまったのでしょう。
この時、寺尾さんはニッポン放送で「寺尾聡の白い日記」という番組を持っていました。私の会社
はニッポン放送の7階。3階のティールームで時々見かけました。ときには私のいるスタジオをのぞ
きに来たりしていました。